私があのナーカルの都
シュメールを出たのには、
深き悲しみがあったからだ…
人は、善悪のそして、分かたれの果実を食べてから、
互いに非難し、みなが争いあうようになった。
ナーカルの親国がそうであったように
人種、国同士、団体、肌の違い、思想、
人と人、競争、戦い、宗教、政治、価値観の違い
そこから生まれる、野心、支配、隷属
様々な分かたれは人類を襲った。
我が国のリーダーたちも、そうだった…。
私は神に誓った。
あらゆる対立を終え、自我の終焉を尊ぶ
和する国、すべてが一体のものと
気づいた人々の世界を創ると…
神は、私を信頼してくれた。
分離の極地、終わりの時
すべてが分かたれの価値観で、
破滅の一途をたどる時
分かたれなど、本当は
ひとつもこの世界にはないのだと
すべてをエデンへ戻す
愛の真実へと、一体へと導くものが
私の子たちから生まれると
神はおうせられた…
私はその約束を守るために
今、いいつかった約束の地へ
向かっている…
アブラム
Abram
神と人類が呼ぶ一者の夢の中で、
人は分かたれ、比較や競争をし
ましてや愚かなことに殺し合っている…
ただ真実を知らぬゆえに…
Tears of Mu
愛を知った 優れたリーダーたちの涙は、
歴史を変えられなかった…
この世界が、闇となった その本当の訳は、
一体を知らず、分かたれの原理、
分離の価値観で社会が構成され
すべてが敵、すべてがライバル、
日々競争、比較、上下、支配、隷属、
うぬぼれ、劣等の繰り返しの日々、
ひとつなる愛しさのない日常、
その悲しき、苦しき価値観となってしまったためです。
人々は今、すべてが一体の世界に気づき、
和する愛の国エデンへ帰還したいと、
切に願っていることでしょう…。
この物語は、
1万年以上にのぼる 愛ある真のリーダーたちの涙が それぞれに共通するのはなぜか?
そのことわりを明かそうとする試みと共に
和する(万物すべてが一体物である)ということにあると、つきとめてゆく物語だ。
そのことへの目覚めがないゆえの同胞たちの苦しみの人生をなげき悲しんだ
美しき心の人々をえがいた、この作品の美しさともなっている。
一体を失ったとき、人は殺し合い、うばいあい、騙し合い、憎み合う、さだめであること。
それゆえに 国ほろび 人ほろぶことを伝えつづけ、目覚めた人々。
言ってみれば、愛の国 築けずにきた、悲しみのブッダたちの物語だ…。
楽曲も、
そのようなところから創られている…。
“Tears of mu” Prologue
人は、知識の果実を食べ、自我を持った
そのために すべてが一体であり、一者であり、永遠であることを失った。
そこから 分かたれただれもが、死をもってしまったのだ…。
神はそのことに苦しみ、目覚めた人々は、そのことで涙した…。
そこからあらゆる時代の美しき長たちが、分かたれの苦しみの民のために泣いた…。
昔 昔 遠い昔のこと…
ナーカルシュメーラ王国の神官のリーダーであったアブラムは、国を出ることのために深く苦しんでいた。
それは、すべてを捨て、まったく新しく生きるという壮大な旅を家族や仲間たちに伝え、説得しなければならなかったからだ。
すべてを捨てるのだ…と…。
砂漠を一人 男が歩く
その後を 少し遅れて、その男の家族や仲間たち、また一族が追った…
-Tears of mu-
和する国 愛で生きれぬふるさとを出て、
砂漠を涙して歩くアブラハム…
その手には、後にアロンの杖とされる
ムーの紋章の入った杖をひきずり、そして歩く…
砂漠をカナンへ向かう 彼のいっこう
和する愛の国を目指したナーカルの地 シュメール
その神官の 愛で生きれぬ悲しみから、物語は始まる…。
愛しきMuは、和すること 愛することを捨てた
リーダーたちや、民たちによって
その支配ゆえに、滅んでいった…
ラームーの涙と アブラハムの涙
モーセの涙、イザヤの涙、イエスの涙は
同じものだった…。
この物語は、そんな悲しい物語だ…。
イザヤの遺言に続く
壮大なスペクタクル歴史ロマン
人は愛では生きれないのか?
すべてのいのち 大切にする
世界をつくりませんか
Tears of Mu
君はそれでも 戦うのか
競争は 悲しみだ
Tears of Mu
ブッダたちはみな
民のために泣く
一体を知らず 苦しむものたちのために泣く
Tears of Mu
人はなぜ 愛の道をゆくのか
大きな危険にさらされても なぜゆくのか
すべてがひとつで あったことに 気づくために
Tears of Mu
世界を良くしたくて
涙した人々の物語
Tears of Mu
はなれていても
共にいられる
Tears of Mu
2024年公開
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